テニス界最高のエンターテイナー、マンスール・バーラミ。その壮絶な半生

誰にもマネの出来ない曲芸のようなプレーで、観る人に笑いと驚きを提供する、元プロテニス選手にして最高のエンターテイナー、マンスール・バーラミ。

以前、HOT SHOTでも、そのスーパープレー動画をご紹介しました。

テニス界最高のエンターテイナー、マンスール・バーラミの曲芸テニスが凄すぎる

プレーしている姿だけをみると、誰よりも人生を楽しんでいるように見えるバーラミですが、実はその半生は、大変壮絶なものだったようです。

イランの貧しい家庭で育った少年時代

バーラミはイランの貧しい家庭で育ち、ボールボーイの仕事がきっかけでテニスと出会いました。

ラケットを買うお金もなかったため、フライパンや、ゴミ箱を漁って作った自作のラケットを使って、なんと独学でテニスを始めたそうです。

常識離れしたプレースタイルは、この経験から生まれたものでしょう。

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▲生計を立てるためボールボーイの仕事をしてテニスに出会う

プロデビュー直後に起こったイラン・イスラム革命

1974年、バーラミは18歳の時に、男子テニス国別対抗戦・デビスカップに出場し、翌年のイランの首都テヘランで行われた大会でプロデビューを果たします。

しかし間もなく、「イラン・イスラム革命」が起こり、国は混乱に包まれます。

革命の影響でなんとプロスポーツが全面禁止されてしまい、1978年から1980年までの3年間、バーラミは全く試合に出場できませんでした。

ついにバーラミは故郷イランを離れることを決断し、フランスに移住して選手活動を再開させます。

youngbahrami photo:Mansour Bahrami - the official website
▲20代前半の、選手として最も大事な時期に混乱に見舞われる

遅れてきた選手としての全盛期

1986年、バーラミはすでに30歳になっていましたが、この年から彼のダブルスのキャリアが軌道に乗り始めます。

この年はダブルスで3度の準優勝を記録、翌年にもダブルスで準優勝を2度、そして1988年にはスイス・ジュネーヴの大会で、悲願のダブルス初優勝を果たします。

そうして臨んだ1989年の全仏オープン。33歳になったバーラミは、フランスのエリック・ヴィノグラツキとペアを組んで出場し、見事決勝まで勝ち進んで、グランドスラム準優勝という素晴らしい結果を残します。

現在に至るまで、グランドスラム大会の決勝でプレーしたイラン人テニス選手は、バーラミただ1人です。

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▲紆余曲折を経て、最後は遅咲きながらも輝かしい戦績を残したバーラミ

テニス界最高のエンターテイナーに

その後バーラミは、1993年に創設された男子テニスのシニア・ツアーを回り始めます。

現役プロ選手としての、第一線からは一歩身を引いたシニア・ツアーで、バーラミは今一度、輝きを放ちます。

試合中に笑いを巻き起こす、まるで曲芸のようなスーパープレーを披露し、今もバーラミは世界中のテニスファンを楽しませ続けています。

また、革命以降、遠ざかっていたデビスカップに、イランが1992年にようやく復帰。1993年から、バーラミも15年ぶりに母国の代表として復帰を果たします。

何と男子プロ選手としては異例の、41歳を迎える1997年まで、イラン代表選手としてプレーしていたそうです。

時代に翻弄され、壮絶な半生を送ってきたバーラミだからこそ、きっと今、誰よりもテニスができる喜びを感じ、テニスを心から楽しんでいるのでしょう。

プレー動画を観ただけでは分からない、その裏側にこそ、心に響くドラマが潜んでいます。